昨日…お掃除とセッションの準備が終わって、ひとりでほっとお茶を飲んでいて気づいたことがあった。
今まで自分がとらわれてきた想いについて。
人に迷惑をかけないように、とか
誰にでも公平に接しなければ、とか
人には自分のできるせいいっぱいのことを常にしなければ、とか。
そしてその想いというのが、
誰かにあらためて「こうしなさいよ」と言われたわけでもなく
ずーっと昔に誰かととりとめもない話をしているときに
その誰かが「○○さんってこうだよね」とぽろっと言ったときから
なぜか私の心にふかーく植え付けられてしまっていたんだってことも気がついた。
…なんということだ!
特に「誰にでも公平に接しなければ」というのについて。
誰にでも公平にっていうのは、逆に言うと
「みんなをいっしょくたにしている」
「ひとりひとりを大切にしていない」ってことじゃん?
たぶん私は怖かったんだと思う。
「○○さんにはああしてあげたのにどうして私には?」と責められるんじゃないかという恐怖にとらわれていたんじゃないか…。
子どもの頃から学級委員とか「○○委員」とかさんざんやってきて
「もっと全体を見ろ」「自分のことだけ考えるな」とか言われてきたのもあるかもなあ。
まあ、自分でももともとサービス精神が旺盛な方ではある、と思っていた。
でもそれを「押しつけ」と受け取った人もいるだろうなあ。
ああああ。
なんということだ…
お茶を飲みながらひとり愕然。
そうだったのかぁ>自分
ちょっと大変だったね>自分
しばし自分に話しかけてみた。
始まりはほんの小さなできごとだったのが、自分の中で思いもよらず大きくふくらんでしまうことってあるんだなあ。
きっと同じような「とらわれ」がまだまだ自分の中にありそうだ。
ぽろんぽろんと出てくるかもね、これから。
まあ受け止めるしかない。
最後にそう腹をくくったら、不思議とその後のセッションは落ち着いてできた。
クライアントさんが、いま自分がかかえている不安や疲れを自然に話して下さったこともあり、私も静かにそのひとに向かい合ってセッションすることができたように思う。
いま、私の前にいるのはこの人。
ありがとう、今日セッションを受けに来てくれて。
大丈夫だよ、きっと少しずつよくなっていくよ。
…そんな想いが次から次へと湧いてきた。
セッション後に、お客様が休んでいる部屋を静かに出たら、
自分の中もきちんと整ったのを感じた。
「個」である自分。
でも「個」ではない。
「個」であるクライアントさん。
でも、彼女もまた「個」ではない。
「個」と「個」であった私たちが、セッションを通してつながれた想いがあったから。
その想いは、彼女が家路についてからも暖かく心に残った。
ああ、そうか…
誰かと「つながる」ことすら私はどこかで恐れていたんだね。
それが、昨日ふたつめの気づきだった。
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