「波はねえ、よく絵に描かれているようなああいう形ではないのです。こう、ぐるんぐるんと周りながら進んでいくんですよ」
これは、先週の金曜日にまたまた参加した「のみさんの東洋医学講座・入門編」での言葉。
「波にのまれたとき、逆らわずにそのまま身体をまかせているとくるんくるんとまわってやがて水面に浮くことができるのよー」
サーファーでもあるのみさんと奥様の言葉なので、説得力がある。
そうか…
私はサーフィンをやったことないししょっちゅう海に親しんでいるわけでもないので、この「波はぐるぐる」説はちょっと感動だった。
目だけで見て、知っているように勘違いしているもの。
言葉だけを読んでわかったような気になっているもの。
ま〜だまだたくさんあるんだろうな。
それはモノだけでなく、自然とか、人間とか、自分をとりまくものすべてに言えるわけで、では「わかったような気」ではなく、「わかった」とはどういうことを指すんだろう、なんて考えるけどきっとそれはゴールなんてないんだろうとも思う。
だから私は自分の心でぐぐっと実感したモノとつきあっていきたいし、もう少しわかりたいな、知りたいな、と思う限りはやっぱり追いかけていこう、ときめた。
来るものはうけとめて、自分も出し惜しみをしない、できるかぎりそうありたい。
最近、ひととの会話が本当に素敵な時間になっている。
いろいろな人との関係がある。
ボディワークやヒーリングが縁でしりあった人。
近所のお母さん。
以前のお仕事関係の人。
知り合いの知り合いの人。そのまた知り合いの人とも。
みんながまっすぐ私を見て話をしてくれてそれが本当にいろいろなヒントや支えになって私の心に飛び込んでくる。
そしてその言葉を素直に受け取れた自分にもちょっと驚いている。
みんな流れてゆくものだから、人も変わる、そして私も変わる。
こだわりが抜けないのは、きっとそれを認められないからなんだな、とも気がついた。よかった。
くるくるとまわりながら波に身を任せて、私も進んでいきたい。
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